不登校体験談を紹介(現在94人)

不登校経験者として母校でボランティア|大人、親に伝えたい子どもの気持ち

不登校体験談先生他

この記事では、募集した体験談を紹介します。

 

書いてくださった方 小学校のボランティア
高校生の時
不登校となった時期 (小学生で不登校経験あり)
きっかけ
その後の進路など
学習方法

ハム鉛筆

自分は高校在学時、小学生の不登校児の相談相手として母校に呼ばれて ちょっとした相談相手をしていました。

 

というのも自分自身が小学生時代に不登校になっていたこと、他の不登校の子を連れて遊んでいたことで対応が上手いのではないかと思われたことがきっかけでした。

 

 

不登校の子にはそれぞれ異なる理由がありました。

 

そしてそれは大概、親にもましてや教師の方にもにはあまり分かってもらえないものでした。

 

 

大人の人たちはよく言います。

 

社会に出たらそんなのは通用しない

 

僕も26になりその言い分も理解しています。

 

 

しかしちょっと考えましょう。

 

それ、大人以外に関係ない話じゃないのかと。

 

子どもにとっては今が全てです。

 

 

少し極端な言い方になるかもしれませんが、ほとんどの子どもはその日に何があったか、何が起きるのか、今日までの間に何があったのかだけが気になっています。

 

朝ごはんはなにか、給食はなにか、晩御飯はなにか。

 

極端に言えばこういう感じで思考しています。

 

そこに過去の体験や その日その日の出来事が乗っかっているだけです。

 

 

年齢が上がるに連れて体験は増えていきます。

 

それを処理するだけの頭や心が伴っているかと言われれば正直微妙でしょう。

 

怒られたり、泣いたり、喧嘩したりするのが子どもですが、それらの印象は子供にとって強烈に頭に残っています。

 

そうやって色々なものに疲れた結果が不登校に繋がるのです。

 

 

にもかかわらず、「お母さんはこうだったけど大丈夫だった」とか「世の中にはもっと辛い思いをしている子だっている」、「大人になったら通用しない」などという大人が数多くいます。

 

教師に言われるのならまだ耐えられるかもしれませんが、親御さんにこんなことを言われたら子どもは大人を信用しなくなります。

 

 

自身の体験を話すことは決して悪いことではありませんが、それは寄り添ってからしてあげるべきことであり、頭ごなしに子どもが今感じていることを否定する行為になってしまいます。

 

私が対応するうえで気をつけていたことは、本当に基本的な2つのことでした。

 

 

1つ目が自分がされて、言われて嫌なことはしないことです。

 

これは当たり前で、先生方も親御さんもケンカの仲裁でこれを言いますが、私からするとそれを最も守れていないのは言っている本人たちです。

 

 

例えば、躾で晩御飯抜きという方がいたとします。

 

これを大人に変換すると今日の君の給料ゼロねと同じことです。

 

なぜなら子どもには給料が存在していません。

 

 

生きることが仕事といえば仕事になるのに、悪いことをしたから晩御飯を抜くという行為は失敗を自らの給料で補填させる行為です。とんだブラック企業です。

 

実行するかどうかは問題ではありません。

 

 

問題は『逆らえない下位者に対して、権限を持った上位者がそれを言った』という事実です。

 

大人の社会ではパワハラ、またはモラハラに該当する行為です。

 

訴えたら勝てるかもしれませんね。

 

 

何気ない言葉ですが、先ほど書いたように子どもはとても単純な思考をベースに日々を生きています。

 

なのにベースに影響を直接及ぼされ、心に傷を負ってしまったとしたら果たしてそれを責められるのでしょうか?

 

 

ですから 私は接するときに強い言葉を使わないように気をつけていました。

 

ダメなことはダメだと教えるけど、何かを取り上げる罰は与えませんでした。

 

かわりにやるべきことをやったら褒めていました。

 

 

廊下を走るなと教えて走らなければ褒める。ケンカしたとき、謝れれば褒める。

 

そんな些細なことでしたが、些細なことが最も重要なのです。

 

なぜならそんな些細なことを大人は気にしなくなるものですから。

 

 

些細なことだと切り捨てるのは、いつでもできるのでまずは拾ってあげましょう。

 

文句は拾えてから言うことが大事です。

 

 

2つ目は話を聞いて、返せる答えは返すことです。

 

基本ですが、これも疎かになりがちな部分です。

 

先生方は1クラス何十人も見ていますので全員を気にすることは不可能でしょうが、残念ながら子どもはそんな事情を知りません。

 

子どもは大人になったら、自分が今できていることの10倍くらいできると割と本気で信じています。

 

三人の話を聞ける子どもは、大人になったら30人の話を聞けるようになると思っています。

 

そんなのできるかと思われるかもしれませんが、要は期待されているのです。

 

 

子どもにとって大人はいわば巨大な本です。

 

知らないことを知っていて、いろいろなところに行っている存在なのです。だから色々聞いてきます。

 

何でその仕事に就いたのか。昔の将来の夢は何だったのか。お父さん、お母さんはどんな子だったのか。

 

建物を見てあれはなんだ。電車を見てあれはどこに行けるのか 等々です。

 

 

子どもにとって、聞く・答えが返ってくる というのは自分のことを考えてくれているという大きな証明になっています。

 

自分の分からない質問でも調べて、後日に答えを返すととても嬉しそうにしてくれました。

 

どんな下らないと思える質問でも、それを否定しないであげることが大事なのです。

 

 

しかし学校はそもそも大多数の人間の中で何かを否定する場所です。

 

その考え方はよくない、ああしたほうがいい、こうしたほうがいいと教える場所です。

 

ですので質問を、自分で調べてと言って閉ざしがちですが、相手の家庭環境次第では傷つける結果になってしまいます。

 

 

相手を見て対応できればベストですが、難しい場合もあると思いますので、もう細かいことを気にせずに対応してしまいましょう。

 

そうしている中で、逆にどこかで質問をして答えを出す機会をあげてみてください。

 

そうすれば教育上も問題ない対応ができるかと思います。

 

 

最後になりますが、そもそも不登校自体を悪いことだと私は思っていません。

 

自分に照らしても、接した子たちに照らしても、そのまま無理に行かせることのほうが辛い結果になっただろうと今でも思えるからです。

 

頑張れてしまう子もいますが、その子と比較して あの子は頑張ってるんだからというのもやめてあげてください。

 

どの子も自分の中で色々フタをしたり、切り捨てたりして前に進んでいるのだということを忘れないで上げてください。

 

葉っぱ区切り線

自らも不登校の経験があって、母校の不登校の子ども達と対応した体験談です。

 

子どもが親、大人の言ったことをどう捉えるかが書かれています。

 

今、26歳の方が書いています。私と20年以上違います。

 

なんというか、歳を重ねていくと 子どもの頃の気持ちを忘れていきますね。

 

娘を見ていると今が全てです。不登校となってから特に。そこから、過去に遡ったりしています。

 

学校でのできごとをしばらくして話してくれましたが、怒られたこと 悲しかったこと トラウマのように残っていて、それが積み重なった結果だと思いました。

 

社会で自立させなければ、今のままじゃ社会では通用しない。

 

これは言葉には出していませんが、心では思っていて、無意識に圧力をかけているのかもしれません。

 

自分の経験を伝えると参考になる、安心できると話すことが増えました。

 

でも、嫌がることがあります。部屋にこもっちゃう時がある。

 

その逆で気持ちに寄り添う。聞き役に徹しようと思う時もある。

 

でも、不安だから聞いてくる。ここは答えるべきなんですよね。

 

ついつい、たくさんの経験を話してしまいますが 子供にはキャパオーバーですよね。

 

まずは、今困っている、その質問だけに答えるべきということなのかな。このバランスが難しい。

 

今は、他の子と比較せず、自分の子だけを見るようにしています。

 

そのうえで、あなただけじゃないよと安心させるつもりで、みんなもと言う時がある。

 

それを、みんなもそうだけれど頑張ってる。自分は頑張ってないと捉える。

 

親の気持ちはこうでも、言葉にして出すと難しい。

 

安心させようとしている言葉が、余計なこと言ってますね。

 

子どもの気持ちに寄り添うって改めて難しいと思いました。

 

自分の中で色々フタをしたり、切り捨てたりして前に進んでいるという言葉。

 

これは感じます。心の中に封印していたものが吹き出す時があります。

 

向き合ったり、諦めたりしながら、少しずつ前に進んでいる気がします。

管理人より

 

他にも、たくさんの経験談を書いていただいています。
まとめ記事はこちらです。

不登校とその後の進路|本人・家族・関わった方の体験談