100人以上の不登校体験談

母の登校渋りの記憶|親に無理やり学校に連れていかれた思い出は残ってる

子どもの頃の登校渋りの記憶

今回の記事は母の幼少期の話です。

 

娘のような不登校にはなっていませんが登校渋りはありました。

厳密にいうと登園しぶりです。そう、幼稚園の話です。

 

幼稚園は徒歩コースでした。自宅から徒歩1.2分。

すぐ近くに幼稚園がありました。

 

2年保育で年少の頃、行きたくありませんでした。

無理やり 門の前まで連れてこられて、母と先生が話していた記憶があります。

門の前でどうしても入れず、私は下を向いて泣いていた。

もう1人、S君という男の子も泣いてた。いつも二人でいた。

 

母と離れたくないとかそんなんではない。

とにかく幼稚園が嫌だった。行きたくなかったの。

 

友達の輪に入ることが苦手だった。

給食がなかなか食べられなかった。

でも、残すことは許されなかった。そんな時代ですね。

 

罰として 窓の近くの高い場所に立たされていました。

いつまでも。みんなが遊んでる時間も。

その場所が怖かった。先生が怖かった。

先生の顔は思い出せないんだけれど場所は覚えてる。

 

運動会では一人だけゴールできなかった。

タイヤ転がしを一生懸命やってるんだけれど うまくいかない。

タイヤが倒れてばかり。最後は先生が来て手伝う。

みんなが見ていて恥ずかしかった。

 

母は「なんでアンタだけできないの」叱ってばかりいた。

今思えば、周りと同じことができなかったんだと思う。

 

園の特別扱いで、 2年間同じ担任だったんです。学年で2人程度。

私にも なにかしらの発達障がいがあると今になってわかってきました。

娘の相談をしている時に医師に指摘されました。

当時は今のように診断や療育があまり行われていなかった。

ネットもないし、親だって調べない。

 

もう、44年も前の出来事です。

最近思い出す。親に無理やり 手を引っ張られて連れていかれる。

そして先生に引き渡される。

断片的ですが、結構鮮明に映像が浮かびます。

 

なら、娘も覚えているかもしれない。

私は同じことをしてしまった。

嫌がって泣いた時に無理やり連れて行ったことがある。

幼稚園、小学校・・・。中学もだね。

 

これ、逆のことも言える。

気分転換にサボって動物園に連れて行ったこともある。

幼稚園の頃です。覚えているかな。

 

学校に行けなくなったときに 親のとった行動。

子供は覚えているんです。たとえ幼くても。

時間とともに忘れたり、封印されていたけれど 潜在意識に残ってる。

 

良い思い出よりも、嫌に思い出の方が残っているんですよね。

娘が言っていたように。なかなか消えない。

これも、特性かもしれないですね。

 

まだまだ長い人生、今の不登校の経験がこの先にどう影響してくるのか。

学校はその期間だけです。とても大きな存在に感じるけどその時だけなんです。

でも、親子関係は長く続く。良くも悪くも関わってくると思う。

その時、親がどう対処したかが。

葉っぱ区切り線

こんな素敵なツイートを見ました。

登園拒否の娘さんに可愛いお守りを描いたお母さん。