不登校となってから、時々見かける言葉です。
ただでさえ悩んでいるし、自分を責めている。
そんな時に、きっつい言葉なんですよね。
子供が不登校となって、最初は学校での出来事が原因だと思った。
なぜかって、つい最近まで学校に行けていたから。
家庭環境が急に変わったわけではない。
なら、学校で何かあったかなって思う。
別にね、学校の責任にしよう。丸投げしよう。
そんなんじゃない。ただ、学校で何かあったのか知りたいだけ。
あるんです。きっかけとなったことがいくつも。
交友関係、先生とのこと、勉強、部活・・・。
多感な思春期だし、進路のことも考え始める。
悩みはたくさんあった。
そして、実際に体調不良で行けない。
起立性調節障害と診断されています。これも理由です。
でもね、それだけでは ここまでにはらなない。
不登校と引きこもりにならない。死にたいとまで子供が思いつめない。
だんだんと違う理由が出てくるの。
不安障害、心の問題も出てきました。
じゃあ、その心理面についてみていく。
ここからは家庭に焦点がいく。
親が子育てについて向き合うこととなる。
確かに、間違いがたくさんあった。
うまく自己肯定感を育てられなかった。
でもね、愛情不足ではない。本当に大切に思って育ててきた。
結婚7年目やっと授かった一人娘です。
どちらかという過干渉ですね。
口と手を出しすぎた。これは反省している。自立を妨げた。
ずっと前に、医師に繊細な子で、つまづいた時にはサポートがいると言われた。
だから、つまづく前に手を差し伸べることが多かった。
でも、自分ひとりでできることもあって、ちゃんと見極めることができていなかったと思う。
さらに、生まれつきの性格、発達についても振り返ることとなった。
カウンセリングでは、母である私自身の生い立ちや家族関係についても向き合うこととなった。
なら、タイトルの言葉、合ってるじゃんって言われそうだね。
原因の1つではある。でも、不登校になる子とならない子がいる。
どれも、複雑に絡み合ってる。
そんなに単純な言葉で片付けられるものでもない。
重たく、傷つく言葉なんです。
だからね、簡単に言い切らないでほしい。
不登校児には親の心の状態が大切だから。